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その11「長崎国保学会~蘭学の地から」

[2019.10.10]

 

 

 

 

 

                                                        

             鳴滝塾跡シーボルト像     シーボルト記念館

   10月4日、5日の二日間、第59回全国国保地域医療学会が長崎ブリックホールで開催されました。肥前の国、長崎と佐賀の共同開催で、テーマは「地域包括ケアシステムの更なる深化を目指して」でした。当院からは「介護保険が適応でない寝たきり独居患者の退院支援」、「薬剤師が関わった糖尿病患者の在宅生活に関する多職種連携」の2演題を発表してきました。特別講演では日赤長崎原爆病院名誉院長の朝永万佐男先生から「核兵器なき世界の実現と医師の役割」と題して70年以上たった今でも後遺症に苦しむ人を作る核兵器の恐ろしさと核兵器のない世界を作るために医師をはじめとした国際社会の働きかけの重要性について教えられました。専門分科会「どんなふうに旅立ちたい?あなたの理想の逝き方とは?」では最近注目されてきた「アドバンス・ケア・プランニング(人生会議)」をテーマに熱い討議が聞けました。

 学会で全国各地の活躍の様子を聞くことで力を得ることはもちろんですが、私にとって長崎は医学史の宝庫として特別な地です。発表の合間に日本に西洋医学をもたらしたシーボルトの鳴滝塾跡、隣接するシーボルト記念館を訪れました。町中からかなり離れた高台にあり少しくたびれましたが、跡地に立ち200年近く前にここでシーボルトに高野長英をはじめ多くの日本人が蘭学を学んでいたと思うと感動的でした。シーボルト直筆の処方箋が残っていることにも驚きました。「病を防ぐ シーボルトと種痘」と題した特別展も開催されており、初めて牛痘法に成功したのがシーボルトの弟子、佐賀藩医の楢林宋建だと知りました。今や撲滅された天然痘ですが先人達の苦労のおかげなのですね。吉村昭の小説「ふぉん・しいほるとの娘」をまた読み返したくなりました。

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